骨寺村荘園遺跡

空撮

・概要
 骨寺村荘園遺跡と農村景観は、平泉中心部から西約12㎞の山間地に位置する。現在本寺地区と呼ばれているが、12世紀には中尊寺経蔵別当領として骨寺村と呼称されていた。この地域の景観は当時から変わらず、時代の変化に応じた営農が継続されてきた。700年以 上にもわたり進化し続けてきた土地利用の形態や農村景観の諸要素は、中世の荘園の姿を現在に伝える14世紀の絵図と照合できる。
・歴史
 12世紀初頭に作成された金銀字交書一切経を完成させた功績により藤原清衡から初代経蔵別当に任ぜられた自在房連光が私領であった骨寺村を経蔵に寄進したもの。12世紀末に藤原氏が滅亡すると平泉の中尊寺等諸寺院並びにその領地は鎌倉幕府により安堵された。鎌倉幕府の歴史書の吾妻鏡には骨寺村の四方の境について示している。14世紀には郡地頭の葛西氏との領地をめぐる相論があり骨寺村絵図が作成された。経蔵領である骨寺村は中尊寺文書や絵図により中世の仏教色あふれる農村の土地利用の様相を伝えている。
・特徴・価値
 中世以来発展的に継承されてきた自然地形に沿って形成された土地利用の形態が周囲の地形とともに良好に遺存している。農村を形成する諸要素は12世紀以降の文献史料や14世紀に描かれた絵図とともに照合できる。中世の荘園とその村落の様相をうかがうことのできる希有な事例である。
 また、本寺地域は山間の閉じられた地形に形成され、土地利用としてうかがえる水田と屋敷がひとまとまりとなる構成や自然地形に沿って巡らされた水路や田越しの灌漑は伝統的な農村の土地利用形態として伝えている。
 さらに、中世絵図に示された農村景観は西側の栗駒山を奥に据えて里山の稜線で寺領の範囲を示している。この農村景観は水田や居住地を囲む里山とでひとまとまりとなっており、絵図に描かれた領域以外の要素が入り込まない空間を認識できる。そして、絵図に描かれ吾妻鏡によって示された範囲のほとんどの範囲が重要文化的景観に選定されている。また、絵図上に示された山王窟は、荘園の中心部からは実際には山に隠れて見えない場所であるが史跡指定となっている。この荘園景観を維持継続する意味からも景観保全を前提とした農地整備については、岩手大学や國學院大学の教授から専門的な指導を頂きながら、取り組みを進めている。
・骨寺村荘園遺跡の概要
 本寺地区は、中尊寺伝蔵の「陸奥国骨寺村絵図」に描かれた現地であり、描かれた当時の農村荘園遺跡の諸様相を照合できる事例である。絵図に示された遺構としては信仰に関する社寺、当時の土地利用をうかがわせる田畠や居住地や荘園経営時期をうかがわせる遺跡の所在等が現地確認できる。また、天台修験を背景とした信仰の拠点の分布は中世の仏教色あふれる農村の姿を伝えるものである。
・一関本寺の農村景観の概要
 絵図に裏打ちされた現地であり、伝統的な土地利用形態と景観がうかがえる。これは近代以降大規模な開発が行なわれなかったことから、中世以来の土地利用の形態が大きくかわることなく、自然条件に適応しつつ、時代に応じて技術や工夫を加えながら農村の暮らしをゆるやかに発展させ、地域の特色をよく表す文化的景観が形成された。

所在地 岩手県一関市厳美町字若神子241-2
連絡先 一関市教育委員会 骨寺荘園室、一関市教育委員会 文化財課