散臣長根

東西南北に分かれる道の交差点の地名が「散臣長根」です。

 天喜5年11月源頼義、義家父子は安部頼時の子貞任を討つべく、1800の兵を率いて多賀城を出陣北進を開始しました。貞任は精兵4000余人を率いて金為行の居城河崎の柵に営し、頼義の軍を阻止しようと前進、基地黄海熊舘に軍を進め合戦となったのは、黄海中田の戦です。因みに、貞任がこの官軍の北進を河崎柵を根拠地として黄海で食い止めたのは、頼義が山道を通らず北上川の水路を北進し、直ちに衣川の安倍氏の根拠地に突入しようと作戦を立てて居るので、この官軍の計画を察知した貞任は、門崎の南砂鉄川の合流点に近い河崎の柵に兵を進め、これから南進し、黄海に於て、官軍を捕捉し戦いましたが、時に風雪きびしく南方の兵は北国の兵にかなわなかったので大敗を喫しました。後にも前(さき)にも東北軍が官軍に勝ったのは黄海の戦だけです。敗戦の結果、頼義は従事わずか7人になり、重囲の中を奮戦し、とくに義家は弓を射る事鬼人の如く、ようやく、囲みを突破し逃れる事が出来ました。頼義軍は峯づたいに退いて散臣長根に辿り着き、ここで軍を解き、ちりぢりになって多賀城に帰る事になったので、この地を「臣を散りぢりにした」として、散臣長根の地名が出来たとされ、一部は今の本郷の地を通ったと伝えられています。

所在地 一関市藤沢町西口字愛宕地内
連絡先 藤沢支所地域振興課
電話 0191-63-2111
FAX 0191-63-5133
交通アクセス(JR) 東北本線花泉駅下車、岩手県交通藤崎線散臣長根バス停車下車、徒歩1分
交通アクセス(車) 東北自動車道若柳金成インターから40分、同一関インターから35分
駐車場 なし
時間 なし
料金 なし