義経はここにいた! HERO 義経伝説

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戦の天才、最強のヒーロー。

今から850年以上も前のこと…日本の歴史をひっくり返す一人のヒーローが誕生したよ。九郎、牛若丸、遮那王とも呼ばれたヒーローの名は、源義経。日本では知らない人がいないほど、超メジャーな武将だね。義経の魅力は、ズバリ「戦のセンス」。時には運も味方につけ、誰も思いつかないような男前な作戦で平氏を滅ぼしたその強さは、「戦の天才」と呼ばれたほど。そんな国民的ヒーロー・義経が、平泉で暮らしていたことは知っているかな?16歳から22歳までの青春時代と29歳から31歳までの人生最後の日々を、奥州藤原氏と共に過ごしたんだよ。平泉周辺に伝わる義経の伝説、そして教科書にはのっていない義経の足跡をたどると、その先に最強のヒーロー・源義経の姿が見えてくるよ。

1.最強の武将が盗んだ『虎の巻』!(義経15歳頃)1.最強の武将が盗んだ『虎の巻』!(義経15歳頃)

「一の谷の戦い」って知ってる?道もない崖の上から馬に乗って一気に攻撃する「鵯越の逆落とし」っていう作戦で、義経が平氏に勝った有名な戦だよ。義経の強さの秘密は、京都の鬼一法眼という人から盗んだ『虎の巻』という戦の攻略本に隠されているとか。『虎の巻』を盗み読み、16歳から22歳までの青春を平泉で過ごした義経は、人とは違う戦のテクニックを平泉で学んだのかもしれないね。「虎の巻」という言葉は、盗んだ『虎の巻』で学んだ義経が無敵の武将に成長したことに由来しているんだって。

鬼一法眼は、天狗だったともいわれているよ。

2.白藤に生まれ変わった義経の愛馬!(義経16〜22歳頃)2.白藤に生まれ変わった義経の愛馬!(義経16〜22歳頃)

平泉から宮城県の気仙沼に向かう途中、義経が乗っていた馬が突然倒れて死んでしまったんだって。大好きだった馬の死を悲しんだ義経は、一関市千厩町奥玉という所に丁寧に埋めて、使っていたムチと途中で折った藤の枝を立ててお別れしたとか。たった一本の藤の枝に根がついて、そこから何十本にも枝が分かれ、840年もたった今でも立派な白藤の花が咲いているなんてすごいことだよね。ちなみに、義経が乗っていた馬は「小黒」という名前で、気仙沼生まれの白い馬だったらしいよ。

義経のやさしさが伝わる物語だね

3.義経の彼女♥ 皆鶴姫の悲しい結末(義経16歳頃)3.義経の彼女♥ 皆鶴姫の悲しい結末(義経16歳頃)

義経が『虎の巻』を盗んだ鬼一法眼の娘さんが皆鶴姫。義経に頼まれて、お父さんの大事な本を持ち出したんだね。娘に裏切られた鬼一法眼は怒り狂って、皆鶴姫を小さい舟に乗せて海に流してしまったんだって。この舟がなぜか気仙沼にたどり着いて、義経がいる平泉を目指したんだけど、途中の一関市室根町で死んでしまったという悲しい結末。皆鶴姫をかわいそうに思った地元の人が、皆鶴姫神社を建ててくれたんだって。きっと皆鶴姫は義経の彼女だったんだね。

後で知った義経は、悲しんで参拝に行ったんだよ。

4.義経と共に戦った、名馬大夫黒!(義経25〜26歳頃)4.義経と共に戦った、名馬大夫黒!(義経25〜26歳頃)

戦に出る時、いつも義経が乗っていた馬が大夫黒だよ。お兄ちゃんの頼朝を助けるために平泉から鎌倉へ出発する時に、藤原秀衡さんがプレゼントしてくれた馬なんだって。義経が平氏を倒した「一の谷の戦い」でも、大夫黒は大活躍したんだよ。「鵯越の逆落とし」っていう作戦で、義経を乗せた大夫黒は人も馬も通れないような崖の上から一気に攻め込んだんだから、敵もビックリしただろうね。歴史に残る義経自慢の名馬・大夫黒は、一関市千厩町で生まれた馬なんだって。

千厩という地名は、藤原時代に
「千の馬を育てていた」事に由来しているよ。

5.金の石を投げてカモを狩る!?(義経?歳頃)5.金の石を投げてカモを狩る!?(義経?歳頃)

昔むかし、炭焼きをして暮らす藤太という貧しい若者が、砂金の入った石を投げてカモをつかまえたっていう伝説、聞いたことあるかな?藤太の炭焼き小屋の裏は砂金の山だったらしいから、藤太にとっては簡単に手に入る砂金よりもカモの方が貴重だったんだね。一関市東山町には、奥州藤原氏の時代から金が掘られていた「矢ノ森金山跡」も残っているし、藤太の伝説からも金がたくさん採れたということが分かるね。この藤太の息子が、義経を京都から平泉に連れてきた「金売吉次」なんだよ。

一関や平泉には金山跡が多くあるんだよ。

6.神ってる!?無敵の義経軍!(義経25〜27歳頃)6.神ってる!?無敵の義経軍!(義経25〜27歳頃)

戦では負けたことがない、無敵のヒーロー・義経。「一の谷の戦い」では、平氏の陣地を裏山から攻撃する「鵯越の逆落とし」が大成功だったね。「屋島の戦い」では、誰も船を出さないような暴風雨の海を嵐にのって猛スピードで進んで、海から攻めてくると思っていた平氏を陸から攻撃して勝ったんだって。「壇ノ浦の戦い」では、潮の早い流れにのせて矢を飛ばす平氏の攻撃で大ピンチだったんだけど、途中で潮の流れが変わって義経軍が逆転勝利したんだよ。戦の天才・義経は、運も味方につけたんだね。

いろんなアイディアで勝利しつづけた義経。
平泉で特訓をしていたのかもしれないね!

7.義経をリーダーに幕府を作る!?(義経29歳頃)7.義経をリーダーに幕府を作る!?(義経29歳頃)

源頼朝に追い出された義経の面倒を見ていた藤原秀衡さんは、義経のお兄ちゃん・頼朝がリーダーの鎌倉軍を倒すんだ!そして義経をリーダーに新しい幕府を作るんだ!という遺言を残していたらしいよ。だから、秀衡さんの息子の泰衡、国衡と義経は、絶対に裏切らない仲間だっていう「一味神水の儀」という大事な約束をしたんだって。義経たちは平泉で、頼朝を倒す計画を考えていたのかもしれないね。ちなみに、「一味(=仲間)」っていう言葉は、「一味神水の儀」からきているんだって。

平泉の高館には、義経の像がまつられている
義経堂があるよ。

8.全身で矢を受け義経をかばった弁慶(義経31歳頃)8.全身で矢を受け義経をかばった弁慶(義経31歳頃)

弁慶といえば、義経をかばってたくさんの矢を体で受け、立ったまま死んだ「弁慶の立往生」という伝説で有名だね。中尊寺の月見坂の登り口に、義経の一番の家臣だった武蔵坊弁慶のお墓があるよ。弁慶のお墓に寄り添うように「弁慶松」が生え、「色かへぬ 松のあるしや 武蔵坊」という中尊寺のお坊さんが作った俳句が石に刻まれているよ。力や勢いがある時も、そうでない時も、いつも変わらず義経を支え続けた弁慶を、散るまで青い「松の葉」にたとえた俳句なんだって。

義経と五条の橋で出会った時から
弁慶はいつも一緒にいて支えたんだよ。

9.義経と泰衡、実は親友だった!(義経31歳頃) 9.義経と泰衡、実は親友だった!(義経31歳頃)

義経は泰衡に攻められて死んだことになっているけれど、実は二人は親友だったかもしれないよ。お父さんの秀衡の遺言通り、実際に義経を大将軍っていうリーダーにして一緒に活動していたらしいし。頼朝が何度も命令したのに、義経を攻めるまでに1年以上かかっているのも不思議だね。それに、平泉から鎌倉まで20日位で行けるのに、義経の首が鎌倉に届いたのは40日以上もたってからだって。もう誰だか分からなかったみたい。泰衡は、義経を逃がしたのかもしれないね。協力したのに、泰衡も頼朝に殺されたんだよ。

義経が生きている時、鎌倉軍は皆義経を恐れて
攻めることができなかったんだって。
それだけ強い人だったんだ。

10.頼朝を焦らせた大河兼任!(義経31歳頃?)10.頼朝を焦らせた大河兼任!(義経31歳頃?)

義経が死んで半年以上たってから、義経は生きていて頼朝に仕返しをするために鎌倉に向かうという噂が流れたんだって。頼朝はかなり焦ったらしいよ。この噂を流したのは、大河兼任という秋田県の武将。「我は義経なり!」と言って、義経の敵討ちを始めたんだね。秋田県の八郎潟で氷が割れてたくさんの兵士が溺れてしまうというアクシデントもあったけど、仲間を増やしながらどんどん勝ち進み、一時は平泉を取り戻す勢いだったんだよ。敵討ちは失敗に終わったけど、義経へのまっすぐな思いが伝わるね。

この戦いを「大河兼任の乱」というよ。

11.義経は生きていた!?義経北行伝説!(義経32歳頃?)11.義経は生きていた!?義経北行伝説!(義経32歳頃?)

義経は平泉の高館で死んだって伝わっているけど、実は生きていて、ひそかに北に向かって逃げたっていう伝説もあるよ。その証拠の一つが、一関市大東町にある観福寺の「笈」だよ。平泉から脱出した義経たちは、観福寺に一晩泊めてもらったお礼に「笈」っていうお坊さんが旅に出る時に背負うリュックのような木の箱を置いて行ったんだって。中には砂金が入っていたらしいよ。義経は、平泉から沿岸を通って青森、北海道へ渡り、その後モンゴルでチンギス・カンになったっていう説もあるんだって。

岩手県〜北海道までは「義経北行伝説」が
数多く残っているよ。調べてみよう!

12.イケメン義経参上★春の藤原まつり!12.イケメン義経参上★春の藤原まつり!

毎年5月に中尊寺や毛越寺で「春の藤原まつり」っていうイベントがあって、5月3日の「源義経公東下り行列」に義経が登場するよ。お兄ちゃんの頼朝に追い出されて、藤原秀衡さんをたよって義経たちが平泉までやって来た「東下り」っていう行列を再現するんだって。しかも毎年、義経役はテレビや映画で活躍している人気のイケメン俳優だから、全国から大勢のファンが集まるんだよ。色黒で背が低かったといわれる義経さんが、イケメンだったかどうかは謎だけどね。

平泉に出かけて応援しよう!