山王窟伝説

山王窟:「山王の鬼」と呼ばれた蝦夷が、立て籠もって死闘を尽くしたとされる断崖。

 かつて骨寺村(ほねでらむら)と呼ばれた一関市厳美町本寺地区。その西の境に山王窟(さんのうのいわや)という切り立った岩山があります。ここは昔「山王の鬼」と呼ばれた蝦夷(えみし)が立て籠もり、ヘイダ(坂上田村麻呂:さかのうえたむらまろ)と激しく戦った場所といわれています(写真1)。

 ヘイダが陸奥国へ攻めて来ると、最初に蝦夷の大武丸(おおたけまる)の一族は鬼となって激しく抵抗しましたが、家を焼かれ田畑を奪われた鬼たちは、逃げて「五串村(いつくしむら:現在の厳美町)」の山奥に立て籠もりました。しかし一族を率いた大武丸は捕らえられ、後に「鬼死骸(おにしがい:現在の一関市真柴)と呼ばれた里で首を切られ殺されてしまいました。その時死骸を埋めた上に置かれた石は、「鬼石(おにいし)」と呼ばれています。転がって落ちた大武丸の首は、目を見開いたまま跳びあがり、飛び散った血飛沫(ちしぶき)は虻(あぶ)や蚊となって相手を刺し目に飛び込んで戦いました。やがて力尽きたその首は「鬼越沢(おにごしざわ)」を飛越え、宮城県の「鬼首(おにこうべ)」に落ちて息絶えたといわれます。

 五串村の山奥に立て籠もった大武丸の一族を追ったヘイダは、ここ骨寺村まで攻めて来ました。真坂の裏山の大きな穴に潜んでいた鬼たちは、怒涛(どとう)のごとく押し寄せてきた大軍を防ぎようもなく、磐井川を飛越えて逃げようとしました。それを追って雨のように飛んでくる矢に討たれ、倒れた鬼たちの死骸で埋め尽くされた場所は「鬼地谷起(おにちやぎ)」と呼ばれています(写真2)。ヘイダはさらに真坂から駒形へと西へ兵を進め、最後に戦ったのが山王の鬼とその一族でした。

 山王の鬼たちは、「牛首戸(うしくびど)」に柵を築いて頑丈(がんじょう)な門をつくり、門の扉には魔よけに敵を睨む牛の生首を張りつけました(写真3)。それに恐れをなした兵たちは、柵に近づけず門を打ち破ることすらできませんでした。苛立ったヘイダは軍を引いて磐井川を渡り、「的場(まとば)」と呼ばれる地に集まり、やがて山王窟と的場を挟んで烈しい矢の打ち合いが始まりました。飛び交う矢はすさまじく、落ちた無数の矢で埋め尽くされた場所は「矢渕(やぶち)」となり、後に「矢櫃(やびつ)」の地名になりました。「山王窟」は山王の鬼が一族を率いて立て籠もり、その熾烈な戦いで仲間の多くが殺された場所です。山王の鬼とその2人の息子も捕らえられて、首を打ち落とされ殺されてしまいました。

 その後ヘイダは祟りを恐れて、山王の鬼の首を「祭畤山(まつるべやま)」に、2人の息子の首を「二子山(ふたごやま)」に葬りその霊を弔(とむら)いました。しかし、親兄弟を失った蝦夷の哀しみに満ちた声は、去っていくヘイダの後を追っていつまでも奥深い沢に響き渡り、消えることはありませんでした。後にその沢は人知れず「鳴沢(なくさわ)」と呼ばれましたが、今では「鳴沢(なるさわ)」といわれており、哀しくも怨念(おんねん)に満ちたこの伝説を知る人もほとんどいなくなりました。
(「伝説の骨寺」・「須川・本寺風土記」と、地元の方たちのお話を参考にいたしました。)

所在地 一関市厳美町本寺地区内
連絡先 骨寺村荘園交流館(若神子亭)または一関市教育委員会骨寺荘園室
電話 骨寺村荘園交流館(若神子亭)0191-33-5022 骨寺荘園室0191-26-0820内線:219
FAX 骨寺村荘園交流館(若神子亭)0191-33-5022
電子メール honederanger.4725@gmail.com
ホームページ http://www.honedera.jp/  https://www.facebook.com/honedera.wakamikotei
交通アクセス(JR) JR一ノ関駅西口を出て、一ノ関駅前バス乗り場から岩手県交通「瑞山行き」のバスに乗ります。およそ40分ほどで骨寺村荘園遺跡に到着。岩手県交通の「塚」バス停で下車するとガイダンス施設の骨寺村荘園交流館(若神子亭:火曜日休館)が目の前にあります。  なお、1日に運行するバスの本数が少ないので、バスの時間にご注意ください。
 骨寺村荘園交流館(若神子亭)でレンタサイクル(300円)を貸し出しています。
交通アクセス(車) 東北自動車道一関ICを出て、国道342号を栗駒山方面に向かうと、約20分ほどで骨寺村荘園遺跡に到着。岩手県交通の「塚」バス停前にガイダンス施設の骨寺村荘園交流館(若神子亭:火曜日休館)があります。
駐車場 骨寺村荘園交流館(若神子亭)の前に無料駐車場。駐車可能台数 乗用車46台(うち身障者用2台)。
山王窟の駐車場(乗用車16台 大型車1台)